思い返せば進学校の高校に受験を失敗したのがわが人生に転機を与えてくれたような気がする.若しあの時受かっていたら多分、平穏無事な確実だけど平凡な人生をあゆんいただろう。単なるハゲ、デブ、チビでなく、一味違うハゲ、デブ、チビである現在に満足している。

1950年、福岡生、団塊の世代の一番末期、学校給食で本物の牛乳が飲めなかった最後の年代、鼻をつまみながら一気に流し込むように飲んだ脱脂粉乳の匂いにこそ時代を自然と意識させるものがあると思う。近くに米軍将校の住宅地があった。鉄条網によって仕切られた中と外では別世界である。広々とした芝生に白い家々、ナイター設備まである野球場に子供が二、三人、金髪を夕日になびかせながら悠然と歩く女性、雑談しながらペンキを塗る人など、すべてが映画の世界であった。鉄条網のこちら側はというと、壊れたブランコと鉄棒だけの狭い広場に青洟たらした無数の子供たちが意味不明の言葉を発しながら走り回っていた。子供だけでなく皆が皆セコセコと走っていた。そんな中で育ったわけだから外国にあこがれるのは当然で、小さいとこから外国志向だった。最もアメリカすなわち外国と勘違いしていて、そうではないというのが具体的にわかるのはずっと後だった。71年8月に横浜港を出てシベリア横断しヘルシンキに到着、ヒッチでヨーロッパ各地を回る。途中の冬越えはハンブルグで皿洗いをやるが、朝の十時ごろやっと鉛色の空が見えるようになり、午後四時にはもう真っ暗という陰鬱な世界にはなじまなかった。72年4月スペインに入る。タイムスリップして昔に返ったような騒然とした熱いものを感じたものだ。ピレネー以北、特に北欧の美しさは絵葉書の世界だ.小さい時に憧れた豊かさがそこにあった。正に金髪の髪をなびかせたこの世のものと思えない美しい女性もいた。だが何かが欠けているのだ。何かは具体的にわからなかったがスペインに入って徐々に体験を通して解るようになった。当を得てるかどうか解らないが当時のスペインには“生”そのものがあったように思う。フランコの独裁が75年に終わり、以後民主化、近代化を進め今では経済的にも一流国となるのだが、それとともに35年前ピレネー以北の国々に感じたことが、ふと思い起こさせることもある。しかしそれでもやはり違うのだ。当時の有名な観光ポスターの文句に“Everything under the SunSpain is different”というのがあったがこれは程度の差こそあれ変わってないように思う。75年フランコが死んだ年に結婚したわけだから女房のフェリーとはもう30年以上連れ添っていることになる。スペイン人が見た日本、あるいは日本人ということで興味深いものもある。そういったものも含めて徐々に紹介していきたい。

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